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加賀太鼓

前田利常公(第2代加賀藩主、前田家3代) が45歳のとき(1639年)、光高に家督を譲るとともに、自身は金沢城から小松城に移り楽隠居となった。当時の世は泰平であったため、利常公は小松城の庭に町民や農民を集めては、呑めや歌えの宴席を設けていた。その際に演奏されていた太鼓が加賀太鼓の始まりとなったと伝えられている。

 

加賀太鼓は、基本的には大バチ、小バチ、笛の三拍子揃って打たれる祝い太鼓である。一般的な創作和太鼓との主な違いは、(1) 古典太鼓である、(2) 個人打ちが基本である、(3) 江戸時代の曲(作者不詳)を元としそれに合わせて打つ太鼓である、という3点である。

高辻 衛

高辻 衛(たかつじ まもる)

 

加賀太鼓一筋55年のベテランで、加賀太鼓・雅道のリーダー 。高度成長期時代には、山代・山中・粟津・片山津など加賀の各温泉地を訪れる日本各地からの観光客に加賀の郷土芸能を堪能してもらうため、加賀太鼓を打ち鳴らしていた。本人の弁によると「その頃は売れていた」そうである。

 

響 鼓太郎(ひびき こたろう)の芸名で作曲も手がけている。

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